福永秀敏先生が人事院総裁賞受賞

~『シニアライフの安心手引』の執筆者が受賞の栄誉~

 

『シニアライフの安心手引』の執筆者のお一人、福永秀敏先生が、平成24年度の人事院総裁賞を受賞されることとなりました。長年に亘って「難病医療」に取り組み、高齢化社会における医療と福祉、在宅ケア・システムの構築等で果たした功績により受賞されるものです。

 

平成24年12月10日に東京の明治記念館で授与式があり、その後、皇居で天皇皇后両陛下とのご接見が予定されているとのことです。

 

『平成24年度人事院総裁賞受賞者の決定について

人事院は、総裁賞選考委員会(委員長:樋口公啓東京海上日動火災保険株式会社相談役)における候補者の選考を踏まえ、本日、平成24年度の人事院総裁賞の受賞者(個人:2名、職域:6グループ)を以下のとおり決定しました。
本年度の受賞者には、昨年発生した東日本大震災への対応等を行った職域3グループが含まれています。』

                     【注】個人2名のうちのお一人が福永秀敏先生です。


独立行政法人国立病院機構南九州病院長
ふくながひでとし
福永秀敏(65歳)(鹿児島県姶良市勤務)
長年にわたり筋ジストロフィー等の難病医療、難病患者の在宅医療への取組と医療安全対策に尽力


福永秀敏先生のご功績と顕彰理由(H24.11.02人事院報道資料より).pdf


                      【人事院報道資料(平成24年11月2日)より】 




福永秀敏先生の受賞の言葉

 

人事院総裁賞への道

~「功績とは」をめぐる感慨~

 

 近代外科学の父といわれたアンブロワズ・パレの有名な言葉に、「ときどき治すことができる、しばしば和らげることができる、いつでも慰めることができる」というものがある。的確な治療法の少ない神経難病を対象にしてきた私にとっては、いつも励ましの言葉に思えてくる。

 もともと書字が下手で原稿用紙を埋めるようなことは、学術論文の作成以外にはしてこなかったが、ワープロやパソコンが使えるようになって生活が一変した。

 8年ほど前から、毎朝515分に家を出て6時前には病院に着くという生活を続けている。そして約一時間かけて1600字ぐらいを目途に、パソコンで「院内ラン」として「雑感」を書き、そのまま院内に情報発信してきた。当初は、職員に病院の現状(患者数や平均在院日数など)、その日の私の動静などを知ってもらうことを目的に考えたが、それだけでは毎日は読んでもらえないので、付録として「雑感」を付け加えたということになる。

 「よく、毎日書くネタがありますね」と不思議がられるが、そこは医師の特権で、外来患者さんとの言葉のやりとりや、現在の医療の諸課題(胃瘻や終末期医療、病名告知など)、またさまざまな会議での模様など、話題に事欠くことはない。結果的には、この雑文が職員に対する私からの情報発信となり、職員に私自身の考えや病院の現状など知らしめることになり、結果的には病院経営にも役だったかと思っている。またこの作業がきっかけで、新聞の連載や数冊の随筆集を刊行することにつながった。

 私の本を読んで、一人の青年は弁護士志望から厚労省への入省を決めたと、学生への入省勧誘のパンフレットに書いてくれていた。また河合塾の模試(現代文)の問題に取り上げられたのも「ちょっとしたうれしい」事件だった。

  「功績」といわれると、ちょっとすくんでしまうが、自著に「先生の好きな言葉を書いてください」と求められることがある。そのときには、「普通に生きる」とか、「てげてげに生きる」と書くことが多い。

 「普通に生きる」は、何事も特別なことではなくて、自然体で普通が一番いいと思っている。また「てげてげ」は鹿児島地方で使われる方言で、「大概大概」というような意味である。「いい加減」ということとは少し異なり、車のハンドルにも遊びがあるように、少し余裕があるぐらいがいいということである。

 ある講演で、「治療法のない難病とか、進行がんと告知されたら、どのように生きていけばいいでしょうか」と質問を受けたことがあった。あれやこれや考えたが、詰まるところシンプルに「一生懸命に生きることだ」と答えた。この言葉は、私が長年関わってきた筋ジストロフィーやALSの患者さんから教えてもらったことでもある。

 私の恩師の井形先生(名古屋学芸大学学長)に、自著(病と老いの物語、平成23年)への寄せ書きをしてもらった。

 「・・・『障害も個性だ』という新時代に対応して、筋ジストロフィーを中心に難病研究を組織し、温かいヒューマニズムを軸に新時代の医療と研究を推進してきた。つまり福永先生はどの分野でも、激動する新時代にチャレンジし、常にかくかくたる成果を挙げてきており、正に時代のマルチタレントである・・・」という過分な推薦の言葉を頂いた。

 具体的な意味での「功績」と言われれば、多くの難病の「研究班」に係わってきたことと、現在進行中の「難病医療の法制化」という仕事かと思う。

 前者に関しては、平成11年に厚生省QOL研究班の「難病の地域ケア・ガイドライン」分科会長としてまとめた「難病患者の地域ケア・ガイドライン」がもっとも印象に残っている。後者では、現在厚生科学審議会難病対策委員会の副委員長の任にあるが、昨年末からこの8月まで、十数回にわたる委員会での議論を「中間報告」にまとめた。今後年末ま6回の委員会が予定されており、「最終報告」となる段取りである。そして来年度からの「法制化」につなげられればと願っている。